エストニアには400を超える教会があり、見学することができます。街中にそびえ立つ中世の驚異的な教会もあれば、もっと質素な礼拝堂もあります。いずれも、エストニアの歴史において組織的な宗教がいかに重要であったかを物語っています。しかし、今日のエストニア人に教会への出席について尋ねようとすると、訝しげな顔をされるかもしれません。
2011年の国勢調査によると、エストニア語圏の人口の65%が自分は無宗教であるとみなしていることがわかりました。宗教を実践している人の多くはキリスト教徒で、ルーテル教と東方正教会が最も一般的な宗派です。しかし、エストニアでは、例えそれが常に4つの壁に囲まれて行われる正式な礼拝を伴わないとしても、精神性は今日でも役割を果たしていると考えています。
タリンのスカイラインでもうひとつ目立つのは、ドーム教会としても知られる聖母マリア聖堂です。スウェーデン王ヨハン3世の娘が埋葬されるなど、著名な人の埋葬が行われた教会です。鐘楼に登ると、タリンの素晴らしい景色を眺めることができます。近くには、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の玉ねぎ型のドームがあり、これもタリンのスカイラインのシンボルとなっています。ロシア正教の教会で、エストニアがロシア帝国の一部であった1900年に建てられました。
エストニアの教会の歴史を知るには、かつて聖ニコラス教会(ニグリステ教会)だった建物を利用した、教会博物館を訪れてみてください。ここでは、タリンで最も有名な芸術作品であるベルント・ノトケの「ダンス・マカーブル(死のダンス)」を見ることができます。その他にベルント・ノトケは、15世紀に聖霊教会の祭壇を手掛けており、この教会の歴史は1300年代にまで遡ります。宗教改革後、初めてエストニア語で説教が行われたのもこの聖霊教会です。そして、この教会の牧師が1535年に出版したカテキズムは、エストニア語で出版された最初の本と言われています。
セト地方(セト族の土地)は、ソビエト連邦が崩壊し、エストニアが再独立した後、2つに分断されました。エストニア語と同じフィン・ウゴル語であるセト語は、正教会の言葉ですが、ほとんどのセト人はエストニア側で生活することを選択しました。ヴァルスカ正教会は、華麗なイコノスタシスと多くの手作りの聖具が特徴です。サーツェ教会は、セト出身の唯一の聖人で、1919年に銃殺された教区司祭“聖ステファヌス”にゆかりのある教会です。
ペイプシ湖の湖畔では、オールドビリーバーが建てた祈りの家を見学することができます。17世紀に宗教的迫害を避けるためにロシアから逃れてきたオールドビリーバーたちは、1740年にクーキタ(Kükita)に最初の祈りの家を建てました。現在の建物は、第二次世界大戦で破壊されたものに代わるものです。ヴァルヤ村のオールドビリーバーの祈りの家はツアーで見学することができます。ガイドが地元の信徒であり、エストニアのオールドビリーバーの文化や歴史についての見識を深めてくれます。
長距離を歩くハイカーや宗教的な巡礼者は、ハイキングブーツを履いてカミノ・エストニアを探検するのもよいでしょう。このルートは、タリンのドーム教会(聖母マリア聖堂)を起点に南下します。イクラ(Ikla)で国境を越えるルートは、バルト海沿岸のハイキング・ルートにつながっています。体力に自信のある方は、リトアニアとの国境の町ニダ(Nida)までこのルートを辿ることもできます。
エストニア教会協議会は、国内の教会に関する情報を集約したウェブサイトを開設しており、その中には宿泊施設を提供している教会を紹介するページもあります。宗教の違いにかかわらず、エストニアの教会は、その歴史的、文化的、建築的な重要性から、訪れる価値があります。