エストニアのユネスコ遺産

エストニアのユネスコ遺産

Source: Meelika Lehola

古い歌や音楽の伝統、南エストニアのスモークサウナや丸木舟、創造的な都市や歴史の記憶など、さまざまな宝物を発見することができます。歴史、建築、伝統工芸、音楽など、どの分野であっても、エストニアには必ず新しい発見があります。ユネスコは、エストニアの文化と景観の下記12の側面を、保存と国際的評価に値するものとして認定しています。

タリンの歴史的中心地 (Old Town)

中世の面影を残すタリン旧市街の象徴的な赤い屋根

Photo by: Aivo Oblikas

タリン の起源は、ドイツ騎士団によって城が建設された13世紀にまで遡ります。 その後、ハンザ同盟の主要拠点として発展し、その豊かさは、教会や商家などの公共建築物の豪華さにも表れています。これらの建物は、数世紀の間に火災や戦争の被害を受けたにもかかわらず、驚くほど良い状態で残っています。


タリン、ユネスコ・ミュージック・クリエイティブシティー

タリン市は、ユネスコの音楽都市に認定されています。
エストニア最大の音楽文化の中心地であり、歌と踊りの祭典をはじめ、主要な国際フェスティバルやコンサートが開催されています。1869 年に始まったエストニアの歌と踊りの祭典 (Laulupidu) は、タリンの歌の広場で 5 年ごとに開催され、街の豊かな音楽の歴史の一例となっています。それから100年以上経った1988年、タリンの歌の広場では夕方から歌のデモが行われ、いわゆる歌の革命が起こり、エストニアとその隣国バルト2国のソ連からの独立に大きく貢献したと考えられています。タリン ミュージック ウィークは、エストニアの首都に根付いたもう 1 つの音楽イベントです。


セト地方のレーロの歌い方

民族衣装を着たセトの女性たち(ヴェルスカ農場博物館)

Photo by: Hans Markus Antson

セト・レーロは、何世紀も昔のどこか古代の田舎に連れて行ってくれるような伝統的な歌い方です。セトの人々は、歌うことは自然で日常的な伝統で、考えや感情を表現し思い出を集め、次世代に伝える方法として考えています。セト地方の歌の伝統は、年配から若い世代に至るまで、脈々と受け継がれているのです。歴史上最も有名な地元の歌手は、2万もの韻を踏むことができ、"セトの歌の母 "を意味する“Seto lauluimä”という称号を得ています。


キヒヌ島の伝統的な生活様式

キヒヌ島の家族

Photo by: Renee Altrov

エストニア西海岸に位置するキヒヌ島には、約600人の島民が暮らしています。この島には、その伝統的なルーツとの密接なつながりが今も生き続けています。伝統的な織機と地元の羊毛を使い、女性たちはミトンやソックス、スカートやブラウスを織り、鮮やかな色やストライプ、複雑な刺繍を施します。キフヌの結婚式は、キリスト教以前の信仰に基づき、3日間にわたって行われます。


ヴォル地方のスモークサウナの伝統

伝統的なスモークサウナのホットストーン

Photo by: Ekvilibrist - Estonian Saunas

スモークサウナの伝統は、エストニア最南端のコミュニティであるヴォル地方の日常生活の重要な一部となっています。これには、実際の入浴方法、ウィスクの作り方(木の枝を束ねたもの)、サウナの建設と修理、サウナでの肉の燻製など、様々な伝統が含まれています。サウナは、石で覆われたストーブで暖められ、座ったり横になったりするための台があります。サウナ部屋には煙突がなく、薪を燃やした時の煙が室内を循環します。スモークサウナは主に家族の習慣で、通常土曜日に行われますが、大きな祭りや家族の行事の前にも、心身をリラックスさせるために行われます。


西エストニア群島生物圏保護区

サーレマー島のソルヴェ灯台からの眺め

Photo by: P Creatives

西エストニア群島生物圏保護区は、西エストニアの島々をはじめ、数多くの小島や海域で構成されています。この地域の手付かずの自然は、自然と共生する地元の人々の工夫や知識によって、多様性を保ってきました。島々では、森、海、陸でさまざまな体験ができます。また、これらの島々には太古の昔に落下した大型隕石の痕跡が今も残っています。ヒーウマー島で、約4億5500万年前、直径約4キロメートルのカルドラ(Kärdla)隕石クレーターが形成されました。現在では100分の1に縮小されたモデルフィールドを見る事ができます。そして、サーレマー島にあるカーリ・クレーターは、地質学の愛好家をも満足させます。

西エストニア諸島の伝統的な地元のオーガニック食品は、その豊富な品揃えと味で有名なフードフェスティバルの基礎を築きました。 地元の環境の影響を受けた島の芸術品や手工芸品は魅力的で、旅行者を魅了してやみません。


シュトルーベ測地弧

シュトルーベ測地弧は、タルトゥ大学の天文学者フリードリッヒ・ゲオルク・ヴィルヘルム・シュトルーベにちなんで名づけられました。1816年から1855年にかけて、彼と同僚たちは、地球の大きさと形を確立するために、子午線の正確な測定値を算出しました。全長2820kmに渡る三角則塁点は、ノルウェー北部から黒海まで続いています。2005年、シュトルーベ測地線はユネスコの世界遺産に登録されました。そして、登録された34地点のうち3地点がエストニアのヴォイヴェレ(Võivere)とシムナ(Simuna)とタルトゥ天文台にあります。記念のプレートは、関連するスポットを示しています。


ソーマーの伝統的な丸木舟(Haabjas)

ソーマーの第5の季節の移動手段としての丸木舟

Photo by: Marti Kose

エストニアで有名な第5の季節になると、低い土地は洪水などで冠水し、ソーマーではボートが非常に便利な移動手段となります。そのため、人々は伝統的な丸木舟(エストニア語でHaabjas)を使ってきました。実際、ソーマー国立公園では、毎年の洪水時にはこの丸木舟が今でも定期的に使用されています。

丸木舟は何千年も前から世界中で使われていまが、ソーマー式の丸木舟は、その特殊な伝統的構造から、エストニアの先住民文化であるフィン・ウゴル文化の一部となっています。ソーマー地域の洪水は毎年あるため、これらの技術が廃れることはありませんでした。2021年12月に、ソーマーの丸木舟はユネスコの無形文化遺産に登録されました。

ソーマーの丸木舟は、その作り方と使用方法を知り尽くした起業家アイヴァー・ルウケル(Aivar Ruukel)にとって、日常生活の一部です。彼は何年も前から、第5の季節にソーマーでカヌーツアーを企画し、ソーマーをユニークな観光地として地図に載せることに貢献してきました。また、この地域の伝統的な丸太舟を守るためにも尽力してきました。この舟は、歴史的にはこの地域の第5の季節の時に使われてきましたが、それ以外でも最近では少しずつ使われるようになってきています。


ユネスコ文学創造都市タルトゥ

タルトゥはユネスコの創造都市ネットワークに登録され、2015 年末に「文学都市(City of Literature)」という国際称号を取得しました。2004年に創設された創造都市ネットワークは、他の創造的な分野も認めており、映画、ガストロノミー、音楽などの都市を束ね、合計7つのカテゴリーがあります。タルトゥは 3 つの国際的な取り組みのアイデアを提案しました。都市文学プロジェクトでは、実験的なプロジェクトとしてタルトゥのバスの中に詩を展示しました。大学生による翻訳では、近隣諸国の作家を紹介しました。そして、都市以外の文学プロジェクトは、都市の周辺地域を呼び込みます。このプロジェクトのターゲットグループは、テキストクリエイター、地元の人々、非伝統的な経験を求める観光客で構成されています。文学の街タルトゥについてもっと読む


ユネスコ 工芸と民芸の創造都市 ヴィリヤンディ

ヴィリヤンディは2019年に「工芸と民芸の都市」としてリストに追加されました。このポジションの主導的な役割は、持続可能性と若者の参加に大きな焦点を当てたタルトゥ・ヴィリヤンディ大学が担っています。同様に、ヴィリヤンディは現在、ヴィリヤンディ フォークミュージック フェスティバルのような民俗文化に携わるプロのクリエイターや研究者、起業家が中心地となって機能しています。


エストニア 歌と踊りの祭典

歌と踊りの祭典には数万人のエストニア人が集まります。

Photo by: Aivar Pihelgas

5年ごとに開催され、色とりどりの民族衣装を身にまとった何千人もの合唱団や踊り手が参加するこの活気ある野外フェスティバルのルーツは、エストニアの民族運動の幕開けとなった1869年にまで遡ります。最初の歌の祭典は1869年にタルトゥで開催されましたが、関心と人気が高まるにつれ、この祭典はすぐに専用の会場を必要とするようになりました。そして、1928 年以来多くの人に愛されているこの祭典の本拠地は、タリン海岸の美しい松林の中にあるタリンの歌の会場です。ダンスの祭典は 1934 年に始まった比較的最近の伝統で、今日、この 2 つの伝統は現代の観客にとって切り離せないものとなっています。


バルトの道

バルトの道は1989年8月23日に行われました。

Photo by: Jaan-Künnap

1989年8月23日、エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国の200万人近い人々が手をつなぎ、約670キロメートルに及ぶ人間の鎖を作りました。ソ連に対する平和的な抗議と占領された3 国の団結を示すこの行為は、国際的な注目を集めました。そして、この日は独ソ不可侵条約締結50周年にちなんだものでした。不可侵条約の一環として、ドイツとソ連は国際法に違反してフィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ルーマニアを「勢力圏」に分割しました。「バルト海の道」は、エストニアが2度目の独立を果たすまでの重要な出来事だったのです。タリンにある「占領と自由の博物館(Vabamu)」を訪れ、エストニアの歴史におけるこの極めて重要な出来事について、さらに詳しく知ってください。